2009年12月25日 (金)

ホーリーナイト

聖なる夜、全国の空手おやじの皆様はどのように過ごしているのでしょうか?

一人黙々と巻き藁を突いたり、型を反復練習したりとクリスマスそっちのけで空手に取組む方もいるのではと思ったりします。

私は1年分のチキンを食いだめしようと試みて、胃もたれを起こしています。

クリスマスに大切な事はどんな料理を食べるかということではなく、暖かな家族との団欒をつくることだったなどと反省しているところです

下記の話を家族にしようと思ってましたが、チキンの食べ過ぎと久しぶりに飲んだ酒と昼間の仕事が忙しかったので、食べてスグに寝てしまいました。

・・・・スペインのモンセラートという山のふもとに修道院があります。そこで幼い時から修行を積んでいた修道士がおりました。

エスタニスラウ神父という方ですが、真面目にイエス様の教えに取組んだ彼は院長になり、その後は隠遁所で瞑想生活をしていたそうです。

ある日、いつものように瞑想をしていると神の声が聞こえてきて、ハポンへ行きなさいと言われ、見知らぬ日本の地へ、フランシスコ・ザビエルが所属していた修道会を頼って数名のシスターとともに長崎の五島の漁村で生活を始めたそうです。

この神父の外見が長年の修行で体は痩せ細って身なりも質素だったので村民はホームレスだと思って誰も相手にしなかったそうです。 けれど牛乳屋のおじさんだけは牛乳や自分の裏庭でとれた野菜をこまめに差し入れてあげていたそうです。

そんな神父のところへ東京や様々なところから立派な法衣をまとった司祭の方達がやってきては、その神父の前で平伏せていくのを見た村民は急いで教会兼住居となる家を建ててあげたのでした。

しかし神父は、この教会は近いうちになくなるであると言い、この家に住むことなく広島県の山奥に引っ越してしまったそうです。 村民達はそんな神父にガッカリしたそうですが、ある時、台風の直撃を受けた時、その教会は吹き飛ばされて神父の言葉どおりになくなってしまったのでした。

その後、神父に優しく接していた牛乳屋のおじさんがガンであることがわかり、手術をしたのだけどお腹をあけると、もう手遅れの状態でありました。 村民達はあの神父様ならどうにかしてくれるのではと、代表者をひとり、神父のところへ向かわすのでした。

船と電車を乗り継ぎ、やっと神父の住む山奥へ着いた代表者は神父にお願いを話すのでした。 神父は

「わかりました、ここで彼のために祈ります」 と代表者の期待した事とは違う答えが返ってきたのでした。

翌日、しかたなく、ひとり うなだれて帰りました。船のなかで落胆しながら考えるのでした。
はじめから神父に頼った事が間違えだったんだと、自分達の行動のいい加減さを反省するのでした。

島に近づくと船着場に多くの村民が迎えに立っているのが見えてきました。ひとり何も収穫もなく帰ってきたことを謝ろうと船を降りると、皆がよくやった、よくやったと出迎えてくれました。きょとんとしていると、目の前に元気に牛乳屋のおじさんが立っているではありませんか!

昨日、病院へ検査に行くとガンが完全になくなっていたそうです。

ある大学教授のお話ですが、この出来事が単なる偶然ではなく、人々を救うために修行を積んだ神父と、その神父に無心で接した牛乳屋のおじさんに、おこるべくして起こった事・・人類の持つ未知のエネルギー、いや未知ではなくて人間の根っ子の部分にある基本となるエネルギーが化学反応して起こった人間の持つ本来のチカラのように思えてならない聖なる夜でありました。

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2009年12月22日 (火)

ウェンズデイ・ラスト・ケイコ

今年最後の水曜日の稽古の記事を書こうと思ったところ、6日も経ってしまいました。

最後の水曜稽古はアカレンジャーが参加してくれて、気合の入った稽古となりました。

移動稽古はアカレンジャーにお願いして、

今年入門してきたスーパー中学女子2人を我が師範の熱き要請により世界選手にするべく、2人に基本を教えるのでありました。

2人とも蹴りが自分の顔の高さまで上がらないので、世界大会いや、オレンジ帯までも遠い道のりでありますが大切に育てていきたい、久しぶりの女子門下生であります。

一部の中学生門下生が親に強制されて稽古に参加している中、
彼女たちは自ら 

「精神的に強くなりたい」

 という動機をもって入門してきたので長く続けてくれるのではないかと期待を膨らますのでありました。

これでボンバーガールが戻ってきてくれたら、「スリーボンバーズ」と命名できるんだけどなどと思いながら、今年最後の水曜稽古を終えたのでありました。

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2009年12月12日 (土)

りんごバカ一代

先日、ふと本屋で目にとまった1冊の本

すべては宇宙の采配 「すべては宇宙の采配」

あまりにも表紙とタイトルの違和感を感じ、手にとって表紙を見つめていると家内が、

「この人知ってる、りんごを農薬を使わないで育て上げた凄い人だよ」と教えてくれた。

思わず有り金はたいて買ってしまいました。一気に読んでしまいました。

木村さんという、このおじさんは大量の農薬を使わなければ育たない、生産できないリンゴを

農薬も肥料も一切使わずに育てあげた人なのです。

しかしこのリンゴができるまでには9年という長い年月が必要だったのです。

リンゴが出来ないということはこの木村さん農家にとっては収入が途絶えるということで

1ヶ月の生活費が3000円の時もあったそうです。彼の大変さを知ると、自分のビンボーは貧乏ではないと感じてしまいます。

はじめのうちは普通に接していた近所の農家からも白い目で見られ、あいさつもされなくなったそうです。そんななか応援してくれたのは奥様と子供達と、奥様のご両親だったそうです、自分の両親からは非難されたそうです。

無農薬をはじめて4年目の時、精神的にも肉体的にもどん底に陥り、これ以上家族に迷惑はかけられない、家族は応援してくれているけど、無収入。私がいなくなれば家族も楽に生活転換できると思い、

ロープをもって山奥へ入っていったそうです。 頑丈でちょうどいい木を見つけ、ロープを縛って、まさに最後の時をむかえようとした時、目の前に月明かりに照らされた、

伸び放題の雑草の中の1本の木が豊かな実をつけて立っていたのでした。

誰の手入れも受けずに豊かな実をつけている木。

雑草や虫がいっぱいのはずなのに、元気な木。

木村さんはピンときてその木の下に行き、土を食べてみたそうです。

そう、大切なのは目にみえない土の部分だということに気がついたのでした。

自然界の循環を大切にするということらしいです。

そうして土を改良して、5年、6年、7年、8年、9年目にやっとリンゴの花が咲いたそうです。

今では彼にこの方法を教えてもらいたい農家、このリンゴを購入したい人々で大変だそうです。

彼の歩んだ道の物語、彼の表紙の笑顔から沢山の勇気もらったのでした。

まさに 偉大なる “りんごバカ一代” です。

彼が本の中で洩らした「私は宇宙人に会った」というエピソードにも共感をおぼえるのでした。

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2009年12月10日 (木)

教外別伝

「教外別伝」・・・ききなれない言葉ですが、達磨の言葉です。

禅の教えで、どんな経典にも左右されず、ありのままを自分の目でつかみ持つことが大切というような意味らしいです。

たとえば、大型バイクに乗ろうと思って、いくら教本を読んでも絶対に上手になれない、乗る事さえできない。乗れるようになるには、実際にバイクに乗って先生から指導をうけなければ乗れるようにならない。 それと同じで禅もいくら経典を読んでも禅の真髄はわからない、坐禅を実践しなければいけない・・・

本日は、おやじ合同稽古の日でありました。空手もまさに「教外別伝」でありました。

いくら空手のハウツー本を読んでも強くはなれないのです。

稽古・修行の大切さを痛感した、師走の、おやじ合同稽古でありました。

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2009年11月 3日 (火)

技ではなく、人を育てる

深夜の一人カウチ、DVDのERを観ようとテレビをつけると、そこにはホントの医師のドキュメンタリーが放映されていました。

NHKの「仕事の流儀」の診療所医師・中村ドクターでありました。

人口3000人あまりの村で17年間もお年寄りの方々を見守り続けている素晴らしい方でした。

彼の口から出たプロフェッショナルとはどういう事か!

「逃げられない困難な状況に陥っても、それを正面から受け止め、受け入れる。

 そして、その状況に前向な考えで楽しみながら取り組める。それがプロフェッショナルじゃないでしょうか」

彼のひたむきな姿勢と言葉に勇気をもらった。文化の日の深夜でありました。

“病でなく、人を診る” 中村ドクター!

 空手の先生だったら

“技ではなく、人を育てる” といったところでしょうか・・・

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2009年10月30日 (金)

腐女子彼女

スイカラの後、自転車で帰宅途中、レンタルビデオ屋へ寄りました。

スラムドッグ・ミリオネアなる映画を借りました

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

一緒にいた長男が「とうちゃん、オレもなんか借りていい?」というので1本借りなさいというと

選んだ映画が「腐女子彼女」 なる日本映画でした。

腐女子彼女。 [DVD]

ヘッドホンをつけて一人でこの映画を見ていた長男は笑いっぱなしでとても楽しそうでありました。

わたしも、こっそり見てみようと思います。

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追突

そういえば火曜日の出来事でした。

またまた法務局に用事があり、車で向かっているときでした。

横浜スタジアムの横で赤信号で停車中、「今日は印紙を買ってもお釣りをもらい忘れないようにしなければ・・」などと思っていたところ、ドスン、グシャと鈍い衝撃が!・・・

一瞬、自分が前の車にぶっかってしまったのか?と、思いましたが、後ろの車が止まっている私の車にぶつかってきたのでした。

ハザードをつけて車を降りて、自分の車の後ろを確認することに・・ するとぶつけてきた後ろの車から若いお姉さんがでてきて、「すみませ~ん、ぶつかっちゃいました~」と困惑した顔をしております。

彼女の車を見ると、なんともなっていません。

私の車、ウチの家内のドライビングポリシーは細い道や曲がり角で車を擦ってしまった時は

ハンドルを切り返したり、バックしたりせずに、強引にそのまま前に進む!

このため、私の車はすでにキズだらけ、凸凹だらけのため、何処にぶつかったのかもわかりません。

お互い大丈夫そうなので、そのまま走り出しました。

お互い無事で何よりな火曜日でありました。

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スィート・ドリーム

昨晩、久しぶりに夢を見て、その夢を覚えておりました。

白い平屋の家、庭は芝生で薔薇のような形で淡いピンクの大きな花が咲いていました。 アメリカンハウスのようなところでした。

私はその家の住人ではなく、なぜかその家の雑用をする仕事のために朝、この家にやってきて黙々と庭の掃除やさまざまな事をしているのですが、なぜか家内も一緒に働いています。

一緒に雑用をこなす彼女はとても穏やかで優しく、素敵な女性でした。

とても心地の良い夢でした。 これは自分の願望なのか?過去生なのか?

明け方、トイレで放尿をしながら今見た夢をもう一度見たいと思うのでありました。

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2009年10月20日 (火)

何のために戦うか

サンドラ・ブロック....昨晩の深夜のひとりカウチは彼女の映画「シャッフル」でありました。

シャッフル [DVD] 彼女はナント同い年です・・・素敵過ぎます・・・

映画も良かったです、ミステリーですが、なんか感動しました。

この映画はひとりカウチより夫婦カウチで見たほうが良いかもしれません。

劇中、サンドラが神父さんに相談をする時、神父さんの言葉で、何のために戦うか?何のために一生懸命になるのか良く思い出しなさいというようなセリフがあります

この言葉をかみしめて、サンドラは夫や家族との愛を取り戻そうと努力してゆきます。

感慨深いです・・・以前老師もこんなことを言ってました。

私は身の上相談をしばしば受けることがるけれども、女の人でも、男の人でも、

「私はこの数年間、いや十何年間、ホントに一生懸命やってきました。子どもが将来。大学へ入ったときに、入学金が払えないのではないのでは可哀想ですから、共稼ぎまでしてお金をためたりして、ホントに一生懸命したのに、子どもが暴走族になってしまいました。」

とか

「薬物中毒になり、警察につかまって。グレてしまいました。なぜ、こんなになったのでしょうか」

と言って泣きくずれる・・・または

「私は、ホントに夫のために一生懸命尽くしてきたのです。買いたい洋服を買わず、好きな旅行にも行かず、投資ファンドの売買までしてお金を増やして、それはもう一生懸命やってきたのに、夫はよそでオンナをつくりました。なぜ、こんな羽目になったのか分かりません。」

と言っていた。

その理由はそれぞれだろう・・しかし、そういった話を聞くと「気の毒だ」と思う反面、「どうして、こうも愚かしいのか」とも思うのも事実だ

「自分の一生懸命でコトは済んでしまう」と、その人たちは思っているようだ。
だが、一生懸命ということだけで、コトは済むものだろうか

釈迦は、自分の弟子たちに向かって、

「ここに一つの壷があったとする。その壷の中に水が、入っていて風が吹いて、水の表面がザワザワと波立っていたとすると、弟子たちよ、この水は、モノを正しく映すことができるだろうか?」

「それは不可能です」

「では、この壷が火の上にかけられて、煮えたぎっているとしたら、この水は、モノを正しく映すことができるだろうか?」

「いや、不可能です」

「壷の中の水が、静かになっていたとしても、この水が永いこと放ったらかされてしかも、腐って、ボウフラがわいて、水蘚(ごけ)が出て、変色してしまったら、この水は正しいし、モノの色を映すことができるだろうか」

「それは不可能です」

「それと同様に自分の欲望のためにココロの表面が波立ち、その怒りのために煮えくりかえり、愚痴のために色が変色して、淀んでいるようなココロで、人間は正しく見ることができるだろうか」

「それは不可能です」

というような釈迦と弟子たちの会話がある。

もし、正しく見ることができないでいたら、一生懸命であることが、逆に目的からドンドン遠ざかってしまうという悲しい結果が数多く、この世に生じてくるわけだ。

いや、数多くというよりも、この世の中で生じている苦しみ、悲しみの総ては、そこから出て来ていると言っても過言ではないぞ。

そこで、まず、考えてみたいのは、一体、幸福というものを人々はどんな風に考えているかということだ

一生懸命に戦うということは何の見返りも求めず、相手を愛することだ、愛する事があり、自然と一生懸命になるものだ。

その時、その人が、どのような幸福を考えているかによって、進むべき方向が決まってくるわけだ、わかるか?空手おやじ

井上老師が神父さんとダブった瞬間でありました。

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2009年10月16日 (金)

空手バカ

本日はオヤジさんたちのゴウドウ稽古の日でありました。

この稽古は指導という立場を忘れて自分の稽古に打ち込める時間です。

今回も無事に稽古を終えて、心地良い夜風を浴びながら駐車場から自宅に向かって公園を通り抜け地区センターの前を通り過ぎようとしたところ、前方に黒帯をしめた空手着の袖が細くて長く、ズボンの丈は我々より短い男性と子供たちとそのお母さんたちらしい集団に遭遇しました。

そうか、彼等もこの地区センターで空手の稽古を終えてひと息ついているのか・・・流派は違えど、空手を愛する者として嬉しい限りだなどと思いながら、かれらの横を通り過ぎようとしたとき、空手着を着ている先生らしき若者の手に光るモノが・・・・

なんと!この方、道着のままタバコを吸っているではありませんか!

スンゴイ衝撃でした。 稽古の後に子供たちと保護者を前にして空手着のままプカプカ~っと煙草です!

せっかくの気持ち良い稽古の後をぶち壊してくれました。

情けないやら、かわいそうやら、悲しいやら、なんか腹立たしかったです。

言葉は悪いですが、彼は本当の空手バカに思えました。

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